幼稚園や保育園など、子どものイジメについての個人的な意見

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幼稚園や保育園など、子どものイジメについての個人的な意見

いじめはなくなりません。

イジメはよくない。イジメはイジメている方が悪い。だから、イジメはいじめている方の問題というのは正しい。でも、これを言っているうちは、イジメの問題を根底からは解決できないと思うんです。

子どものイジメに大人が介入して、イジメている方を親や先生が注意する。このようなことは、もう何十年も前からやっています。これで解決できているなら、それでいいんだと思います。

それでは、解決できないケースもあるので、私はイジメに対する考え方を根底から変えるべきだと言いたいんです。世の中の全体が変わらないと、目の前にあるイジメも解決が難しいままだと思います。重要なのは大人の考え方だと思います。

その中で、絶対に考えなければいけないのは、「イジメは世の中からなくなることはない」という大前提です。大人の世界にもあるんですから、子どもにだって絶対に起こり得ます。理想だけでは、解決しないですよね。

2つ問題があります。

子どものイジメについて、今の状況を考えると、2つの大きな問題があると感じています。それは子どもたちの問題ではありません。大人たちのイジメに対する考え方の問題です。世の中からイジメはなくなりませんが、どうにかしなければいけない。

まず1つ目は、イジメの線引きです。最近のパワハラやセクハラ、体罰の問題にも同じことが言えますが、もちろん、どれも悪なのです。でも、どこからが悪なのかというのは難しい部分があります。それを受けた本人次第だとも言えます。

イジメている方は遊び半分でやっているつもりでも、あるいは悪気がない中でやっていても、相手にとって苦痛であれば、それはイジメになります。よく「いじり」と「いじめ」は違うとか言ってますが、やられた方がどう受け取るかの問題です。

私は、世の中の一般的な考え方として、「ここからはいじめ」という線をどんどん手前に持ってきて、イジメの範囲をどんどん広げているように感じます。結果的にいじめとなる対象は増えます。たとえば、仲良くなっていく過程で、イジメに似たような行動がちょっとでもあれば、それはイジメになります。

一時的に、人をからかうような言動があった場合、それはイジメなのでしょうか。

継続的に次の日も次の日も同じように行うならばイジメですが、あくまで一時的なら、それほど問題にすることもないと思うのです。それで場が楽しくなるならば、やってしまうこともあるんだと思うんです。でも、イジメの線引きが手前にあり過ぎると、その行為そのものがイジメとなり、息苦しい人間関係になります。

大人で言えば、パワハラやセクハラの問題も同じで、もちろんよくないことはよくないですけど、あまりに境界線が手前にあり過ぎると、本音も言えない関係になるのではないでしょうか。

経営者と社員、先生と生徒では立場が違うし、同じ視線で物事を見ないわけですから、相手の行うことが気にいらないことは必ずあります。自分の立ち場はあるんだから、意見してもいいでしょう。それにすら気を使わないといけないような世の中になれば、だいぶ不健康な状態になると思います。子どもで言えば、無邪気さや個性を奪うことになっていきます。

イジメを扱うテレビ番組などを見ることもありますが、イジメというのをその事例を含めて、どんどんグレーゾーンをなくしていって、息苦しい社会にすることを助長している部分があるようにも思えます。これだと、社会が変わっていなくても、どんどんイジメは増えます。イジメだと大人が騒ぎ、これがイジメだと子どもに認識させます。正しいことのようにも見えますが、デメリットもあります。

もう1つの問題点は、イジメる側を責めても仕方がないということです。前の記事に、イジメられる側に問題があると書いたのは、あまりに行き過ぎた書き方だったかなと思い、反省しています。

ただ、本当にイジメを解決しようとしたら、イジメている側を追い回しても、解決しないということが言いたかったのです。もう何十年も同じ発想でやってきたわけです。それでも、イジメはなくならないし、イジメに悩んでいる子も少なくありません。

親や先生がイジメがあった子どもの間に介入しても解決しません。これは本当にそう伝えたいんです。もう、その考え方を子どものために取り去って欲しいんです。

NHKの番組で、少し前にいじめのことをやっていました。イジメられた経験を持つ子どもたちを集めて、大人がその話を聞いてあげるという構成です。イジメを取り扱う番組は、この構成が正義かのようにずっと同じようなことをやっています。イジメられた子どもに、ほかのイジメられた子や大人が共感するような番組です。

自分の気持ちを誰かにわかってもらえるというのは本人からすれば安心感があるとは思います。でも、それで何か解決するでしょうか。明日からはまた前と変わらない生活が待っています。親や先生が介入するというのも同じような側面があると思います。

そのNHKの番組では、ある学生のプロジェクトを取り上げました。過去にイジメられた人たちがボランティアで、今イジメられている人からの相談を受けるというものです。直接会うのではなく、インターネットを使ってチャットのような形でやっていました。

実際やってみると、それは簡単なものではありませんでした。相談を受けていた人も、「なんて言ってあげればいいかわからない」と困惑気味でした。個々のイジメ1つ1つに、同じ解決策があるわけでもなく、そのイジメを解決することは、かなり難しいということを表していると感じました。これは、近くにいる先生や親だから可能とも思えないんですね。共感することはできても、解決にまでは至りません。

そのプロジェクトは、イジメをどうにかしようとする素晴らしい取り組みだとは思うのですが、私はこれで解決できるかには疑問があります。結局、共感するところが中心になってしまうからです。

たとえるなら、今、深い海の中にいて、足がつかないくて怖い。一緒に潜って、海底に足をつけてみようという感じです。足がついたら少しは安心します。ただ、足がついたとしても、結局はその海の中にいることに変わりはありません。海から出られる方法ではないのです。

今までの、イジメられた方の話を大人が聞いて、共感してあげて、イジメている方が悪いんだから、あなたは何も悪くないと伝え、イジメている方を注意するなりして、状況を改善するということでは、ほとんどのイジメは解決できていないのではないかと思うのです。

つまり、イジメられている方の目線で対応していることが問題です。イジメられていることがかわいそうなのは当然です。ですが、それに共感して、やさしい言葉をかけようとしても、それがイジメられている方の視点に立っている限り、どんどん深い方に入ってしまいます。

イジメられた気持ちは、イジメられた人でないとわからない部分があると言います。それはその通りです。でも、イジメられた側の視点で話をしていると、どんどん暗い方に行くんです。深い方に深い方に行きます。出口が見つからなくなるかもしれません。

それだったら、見方を思い切り変える方がいいと思うのです。イジメられている人が相談するべきなのは、身近にいて自分の気持ちをよく分かってくれるような人ではなく、全然いじめなんて理解できないような人の方がいいと思います。

全然違う世界観の人と話した方がいい。全然違う世界があることを知った方が、その子のためにはいいはずなんです。イジメられた経験を持っている人ではなく、イジメられてたけど、それをイジメだと気づかなかったぐらいの人の方がいいと思います。

ですから、子どものイジメに大人が介入してもいいのですが、ただ共感して、イジメが悪いと説くのではなくて、そのイジメの原因を解決しようとするのでもなく、全然違うことを教えてあげた方がいいと思います。

そもそも、ここで取り上げたのは幼児期のいじめだったのですが、あまりに明確にイジメの事例として大人が子どもに認識させることが本当に正しいのか、私には疑問です。加害者と被害者の形にして取り扱うのが正しいのかどうかです。

こういう状態がイジメなんだと理解させるよりも、イジメられた子がまた同じような状況になっても、つらい気持ちにならずにどうにか立ち直れるような形に持っていけるのが私にとっては理想です。イジメはどの年代になっても、だれにとっても起こり得るからです。それを邪魔しているのが、何十年も変わらない大人たちの発想だという気がしているのです。

イジメた方が悪いと言うのはわかります。けれど、それを言っている限りはこの先も何も変わりません。大人の対応が変わらなければ、子どものイジメに対する見方も変わりません。

子どもたちには「みんな違ってみんないい」というようなことを言います。個性は大事だと言うわけです。個性を認めれば、ほかの子に対する何かしらの感情が起こりやすくなります。それは仕方のないことですよね。それなのに、みんなが同じようにだれとでも仲良く遊びましょうというのは、どこか矛盾を感じます。

仲間外れの問題はどうでしょうか。リーダーになって自分の思うようにやりたい子が、だれか1人の子に「遊ばない」「こっちに来るな」と言います。それはとても自然な出来事なんです。個性を受け入れるなら自然の形と考えるべきです。そこで大人がどう対応するか。リーダーの子に相手の気持ちを考えて仲間に入れてあげなさいというのは、今までの発想です。

そうではなくて、逆に考えるのは間違いないのでしょうか。仲間外れにされた子に、そのグループに入って遊ばなくても別の遊び方があることを教えるべきです。加害者と被害者として扱わずに。いろんな楽しみ方があると教えるべきです。仲間外れにされることなんて、世の中ではよくあることだと教えて、その時は別の道があることを教えた方が、将来のためにはよいと思います。

だから、私は前の記事でも、イジメられた子の方が変わることがイジメの解決策だと書いたつもりでした。

大きくなれば、自殺に追い込むようなイジメも出てきます。それはまた話が別かもしれません。ここで取り上げたのはあくまで、幼稚園や保育園での話です。大きくなるほど、親や先生がイジメを感知できる可能性も低くなると思います。それでも子どもが乗り切れるような考え方を幼いうちに教えてあげることが、その子の将来にとって大切なのではないでしょうか。

そういう意味では、私は仲間外れにされるのはチャンスでもあると書いてしまいました。これは表現がよくなかったと思います。

イジメられると、その空間がすべてだと思って悩みますが、それはすごく小さな世界で、その海を出れば、もっと大きな世界が広がっていることを教えたいのです。大人たちは、その海でどうにかうまく生きられるようにと対処しているのが現実です。

世の中からいじめをなくす、またはいじめを減らすには、イジメる人をゼロにする、少なくすることではありません。イジメられても大丈夫な人を増やすことです。大丈夫ということはないとは思いますが、乗り切れる人を増やすことです。

今回の件をどうにかしようとせずに、その子の将来や世の中のイジメをどうにかしようと大人たちが考えたら変わるのではないかと私は思っています。


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